鎌倉大仏が大迫力「高徳院」

高徳院とは

高徳院とは、正確には「大異山高徳院清浄泉寺」のことです。

浄土宗の仏教寺院として知られているのですが、開祖は法然上人(1133年~1212年)です。
法然上人(ほうねんじょうにん)は、「男女、善悪、年齢、身分」などを分別せず、万人の救済を本願としている「西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来」に帰依されています。

そのため、法然上人の説かれている「浄土宗の教え」の中でも、南無阿弥陀仏(阿弥陀仏への帰依)と称することで、南無阿弥陀仏の御加護を得られると説いているのです。
また、御加護とはなんなのかというと、「極楽浄土に参ることができる」という意味に相当します。
このような万人に通じる極楽浄土への通じ方を、法然上人は浄土宗の教えとして多くの人に伝えた・・・というわけです。

鎌倉大仏とは

鎌倉大仏殿高徳院として知られている「鎌倉大仏」について、詳細を案内させていただきます。

まず、鎌倉大仏殿高徳院についてですが、鎌倉大仏は「創建当時の事情には不明な部分が多い」という特徴を有しています。
そのため、「諸説ある大仏」として今でも語り継がれているものが数多く、詳細不明のままの記録も数多く存在するのです。
例えば、今でも「尊像の原型作者が特定されていない大仏」として、鎌倉大仏は有名なままです。

他にも、鎌倉大仏の修繕についての詳細も不明となっていますので、過去に記された著書を確認しても、現在までの修繕に対して、不明であるところが数多く残っています。
そのため、「大地震などの影響で酷く損壊した」という考えも存在すれば、その他の理由で修繕を行なったのでは・・・という考えも存在するのです。

そんな修繕で有名なものに、「元々、銅製であったのか、それとも木製であったのか」という不明点が存在します。
こちらも原型作者と同じで正確な情報が存在していないため、元々、銅製であったのではないかという考え以外では、木製の大仏が震災の影響で傷んでしまったため、その後に銅製になったという考えまで存在するのです。

ただ、鎌倉大仏の中でも正確に理解されているところは存在します。
例えば、総高(台座を含む)は13.35mあり、東大寺大仏像は18.03mという高さであることが判明しているところです。

今までは、このような記録が大まかに残っていただけなのですが、今では仏像の内側、外側の寸法を正確にはかり、どのような素材が使用されているのかも明らかになっているのです。
また、鎌倉大仏殿高徳院に訪れる観光客の中には、鎌倉大仏に対して、どのような祈りを捧げるのかも時代によって変化しています。
今では、昔とは違い家族や健康だけでなく、それ以外の個人的な願いを込めて、鎌倉大仏殿高徳院を訪れる人も増えているのです。